もやしもん/石川雅之

 レポート転載である。

もやしもん(1) (イブニングKC)

もやしもん(1) (イブニングKC)

 佐々木倫子は『動物のお医者さん』でH大(作中で伏せられてはいるが、どうみても北海道大学と思われる)獣医学部で、大学のその学部だからこそ、という舞台設定で起こる日常をテーマに笑いを描き、大ヒットを収めた。

 ここ最近、ポスト『動物のお医者さん』とも言える大学を舞台とした漫画が世に出始めている。二ノ宮知子は『のだめカンタービレ』で音大を、羽海野チカは『ハチミツとクローバー』で美大を舞台にしている。例年、美大・音大、専門学校の生徒は増える一方であり、『動物のお医者さん』の時はあまり日のあたることの無かった獣医学部というものにスポットライトを当てることで、上の二つに対しては「共感できる」との声も聞く。おそらく、読者の中における美大・音大、芸専の出身者の数がおそらく『動物のお医者さん』の獣医学部生よりも多いのであろう。

 そんな中で石川雅之の『もやしもん』は本当にスポットのあたることのない――あたったとしても田舎な雰囲気をもった農業青年が肥やしを撒くなどといったギャグの一端としてしか扱われない農大を舞台に選んだ。そして、先の『動物の医者さん』『のだめ』『ハチクロ』と『もやしもん』が大きく違うのは主人公の特殊能力の有無である。『もやしもん』の主人公沢木惣右衛門直保は肉眼で細菌が見えてしまう体質なのである。『もやしもん』はその沢木君の持つ特殊能力をめぐってのドタバタを描くギャグ漫画である。

 石川雅之は他の作家よりもアイデアの目のつけ方が変わった場所にある漫画家だと思う。まず、この『もやしもん』においても、農学部を舞台とするドタバタ漫画であれば、それは『動物のお医者さん』のパロディにしかなりえない。というかストーリーの大まかなところで類似点が見られるほどである。しかし、ここで主人公に細菌が見えるという特殊能力を与えたことにより、その端々で起こる細菌学の事象に強烈なインパクトを与えることができる。且つ、主人公沢木君の見る細菌がリアルではなく、2頭身の単純なキャラクターであることが、読者に細菌への愛着を起こさせる。

 たとえば、1巻の27頁1コマ目などに代表されるように、細菌が溜まっている場所が開かれるとき、ほかの人には普通に見える情景が主人公にとっては、爆発的に噴出す細菌として見えるのである。もとから、石川雅之は背景に力を入れない作家である。人物だけで後ろは真っ白なコマが目立つ。そのせいもあって、この細菌たちが漂う図の与えるインパクトは強い。

 また、石川雅之はキャラクターや物ひとつひとつの影にすごくこだわりを持っているようにも思われる。『もやしもん』は雑誌連載という形のせいか、人物の服などでスクリーントーンが貼られているが、短編を収めている『週刊石川雅之』では、背景や影、服の模様などはすべて手描きである。スクリーントーンを使っているページはほとんど見られない。その上、背景のひとつひとつに力を入れて描いている。そこに繊細でありながらも職人気質である作者像を思い描くことができる。

 アイデアについて話を戻すと、石川雅之のストーリーに対するアイデアは『週刊石川雅之』でも多く見られる。陰の薄い男たち2人が陰の薄さを生かして悪巧みをする話(第3話「自分を信じた男」2)、かつては凄腕の殺し屋だった男がカタギの世界に戻り、プヨプヨに太った中年のおっさんとして自分の昔話を語るけど誰も信じてくれない話(第6話「WILD BOYS BLUES」)、日本の農家で飼われているニワトリとヒヨコの親子が平凡な日常を抜け出すためにフランスを目指す話(第9話「フランスの国鳥」)。どれも、どっちかといえば単純で、頭に浮かべては鼻で笑って忘れてしまうようなストーリーである。あえて言えば、馬鹿らしいアイデアである。しかし、石川雅之にはそのアイデアを形にする力がある。そして、時にはそういった読者の妄想の上を行くストーリーで読者をはっとさせることができるのである。

 石川雅之の歴史がかった設定の物をあつめた『人斬り龍馬』に収められている「神の棲む山」なんかはいい例であろう。永遠の命の伝説を描くストーリーでよく見られる、永遠の命に対し人間の儚さゆえの楽しみを説くというのが話の筋であるが、石川が描くことによって読者の受け方が大きく変化する。

 この単行本に納められているのは、週刊石川雅之もやしもんと違って、ギャグの色合いは取り除かれてはいる。しかし、それらふたつに通ずる石川雅之の味というものがふんだんに感じられる。白虎隊をモデルに描かれたのであろう二本松少年隊の最終シーンにおける主人公、成田才次郎が政府軍の指揮官である白井を刺殺するシーンでは、その人物たちの気迫が落城し火の手が上がる二本松城を背景に描かれ、少年兵たちの悲壮さを強めているように感じる。

 石川雅之の絵のタッチの持つ緩急が、ストーリーにも色を持たせているように思われる。それは作者の意図ではないのかもしれないが、彼の描き方に出来る細かさと妥協によるムラがより読者に強烈な印象を持たせる。ありきたりなストーリーの中に速度と起伏が生まれる。

 おそらく、彼の漫画の背景が真っ白なコマに背景を書き足したら、おそらくこの上なくだらだらと間延びした漫画になってしまうだろう。

 そういったところからも、連載となった『もやしもん』では絵のタッチのムラが大きくなっていくだろうと思われる。それによっておこる緩急有る運びによる笑いに期待をしたい漫画である。



●参考文献

もやしもん』(講談社/ISBN 4063521060)
『人斬り龍馬』(リイド社/ISBN 4845827433)
『週刊石川雅之』(講談社/ISBN 4063288676)