「ひきこもり=超人」考
わにとかげぎすを読み終えてから、色々と考えさせられている。
自分はある程度無いと死んでしまう人間である。大学に入ったばかりの時、友人とルームシェアリングで実家から離れることを考えた時期があったが、自分は他人と共同生活を送ることに限界があるように感じられた。実家という空間は一人暮らしの8割くらいの孤独を自分に与えてくれるので、今ではそれが当然のことのようになじんでしまっている。
孤独には中毒性がある。アルコールやニコチンと同じく、中毒者にとって、ある程度の孤独が与えられないとダメになってしまう。 わにとかげぎす、という最初、ワニとカゲギス(?)もしくは、ワニ・トカゲ・ギス(?)と呼んでいたこの漫画であったが、これはひとつの人間と孤独の付き合い方を描ききった漫画であった。
スーパーの深夜警備員富岡は友達や恋人、家族以外の第三者との付き合いをまったく無いままに32歳になった青年である。実家を出て以来、家族ともまったく付き合いも無い。そんな彼はある日、自分が孤独であるということに気づいてしまう。そんな彼の仕事場に「警備員へ お前は一週間以内に頭がおかしくなって死ぬ」と書かれた脅迫状が届く。
この脅迫状を皮切りに漫画を通して富岡の目の前には様々な人物が現れる。彼らは様々な生き様を富岡に見せつけ、そして去ってゆく。この漫画は富岡が物語全体を通した主人公である一方で、雨川と花林、斉藤というような登場人物たちの物語であり富岡は彼らを主人公とする物語の脇役に過ぎない。そんな個性豊かな人々との出会いや彼らの物語と出会い、富岡は孤独の中における自分のスタンスを探してゆく。
ゲーテの『ファウスト』。そして、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』。現代とはいかに孤独なものか。
自分を孤独と認識した男。様々な人間の孤独を垣間見、そしてまた孤独を孤独と感じない人間を見つめる富岡は人生30年間を部屋で寝て、誰とも交友をもつことなく生きてきたダメ人間である。しかし、現代社会において人間が陥りがちな「虚栄心」「快楽志向」「他人任せ」という悪徳から超越した存在でもある。孤独ではないことはまたそれがひとつの悩みの種となる。
他人と過ごすということは「よりよく見られたい」「楽しけりゃどうでもいい」「誰かがやってくれる」こういった自分をまざまざと見せ付けられることになる。孤独が何で好き勝手聞かれりゃ、他人が嫌なわけじゃなくて他人と一緒にいる自分が嫌いなんだ。富岡はその点、自分を嫌いにはならない。
わにとかげぎすは孤独から脱出しようという漫画ではない。富岡には最終的に友達は残らなかった(羽田さんは別として)。
かくも生きるというのは難しい。しかし、一晩ぐだぐだ書いたり消したりしてるけど、この物語に対してわしなりの答えを見つけることはまだ不可能なのかもしれない。わし、まだ童貞だし。
また、この物語に対して答えを持ってる人から、答えを聞いてもただ腹が立つだけなんだろう。結局、わしはまだ何も得てはいない。かくも生きるということは難しい。
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