タイタンの妖女/カート・ヴォネガット・ジュニア

 口寄せ師と通訳を手配しての大規模なイベントになります。yuminagaは猛省を促す。

 我々は何のために生きているのだろうか。そんなことを考えざるを得ない一冊である。*1

出版社/著者からの内容紹介
すべての時空にあまねく存在し、全能者となった彼は人類救済に乗り出す。だがそのために操られた大富豪コンスタントの運命は悲惨だった。富を失い、記憶を奪われ、太陽系を星から星へと流浪する破目になるのだ! 機知に富んだウィットを駆使して、心優しきニヒリストが人類の究極の運命に果敢に挑戦した傑作!

 あらすじでも物語を説明できた気がしない。それだけ多くの事件がこの一冊の中で起こる。この本を読んでいて、マラカイとラムファードの関係は旧約聖書アブラハムヤハウェ、またはモーセヤハウェの関係を髣髴とさせるようなものを覚えた。「徹底的に無関心な神の教会」のくだりでも熱心な既存の宗教に対する信仰否定が行われているが、この作品はヤハウェ(ラムファード)と預言者(マラカイ)の間にて交わされる対話と預言者の受難の物語であり、旧約聖書のようなスタイルを持っている。旧約聖書預言者ヤハウェから散々ひどい目に合わされてる(モーセなんかはわざと40年間も砂漠を放浪させられた挙句、ゴール直前で野垂れ死んだ)。火星による地球への攻撃とその後に訪れる「徹底的に無関心な神の教会」の支配は黙示録における神の国到来を思い出させるし、おそらく作中ですんなりこんな宗教が広まったのも、書かれてないけれど全米に広く行き渡っている黙示思想の影響がベースとなっているんじゃないかしらん。(にしても、火星が攻めてくるまで、いや戦争の最中でも幽霊として見世物になっていたラムファードがいきなり教主として世界を熱狂させるのは唐突だ)
 宇宙のさすらい人、マラカイの地球帰還はおそらくメシア到来のパロディであり、第二のダビデとしてイエスが今日まで続くキリスト教の神となったのをあざ笑うかのように、マラカイは神の不興のしるしとして晒し者にされてしまう。
 水星でのボアズとハーモニウムの関係というのもなかなかに面白い。この美しく輝く原始生物に対して愛情を抱いてしまったボアズは「徹底的に無関心ではない神」のモデルともいえる。彼はハーモニウムたちのためにテープレコーダーでクラシック音楽を聞かせてやり(神はマナを降らせ、人々にパンを与えた)、彼らが振動の食べすぎで死んだりすることの無いように守り見張っている。
 そして、そこまでしてまで続けてきた全知全能なる神ラムファードと預言者マラカイの旅も結局はトラルファマドールなんていう遥か彼方の異性人によって操られてきた結果なんだよー。なんていう未知なる第三者の操作。神よりも偉大な第三者が出現してしまうことによって、叙事詩としてのスタイルすらも否定してしまう。
 カート・ヴォネガット自身は確信的な無神論者であり、そのことが原因で離婚すらも経験している。この物語はヴォネガットからの宗教否定であり、信仰に頼ってしまう人類(人間は生まれつき宗教的な生き物である)とその発展に対する痛烈な皮肉である。
 神が本当に存在するなら、ボアズのハーモニウムのように人類を見守っていてくれるならば、俺はもっと幸福なんじゃないか。試験がまったくでも出席だけで単位くらいくれたんじゃないか。もっとモテる顔に生んでくれたんじゃないか。神の国の到来だの、輪廻転生からの解脱だの、ジハードだの、ハルマゲドンだの、人類を本当の意味では救ってくれない(気の持ちようとして個人個人が救われることはあるのかもしれないけど)宗教とそれによって支配される社会への批判。そして、神と人類とはあくまでも徹底的に無関心であるべきという考え方(ツキだとか運だとか、人間はどうしても不確定要素に対して神の存在を意識せざるをえないので、神の存在そのものを真っ向から否定することは出来ない)。
 その真理を示すために、宇宙をさすらったマラカイ。

「乗れよ」
「乗って、どこへ行くんだい?」とコンスタント。
「天国さ」
「天国ってどんなところだい?」

清らかで賢くて、立派な人類に幸あれ。

*1:なお、今日の更新は今日のサークルの読書会の参加者があんまりだったので報われないレジュメを供養するため、そのまま転用させてもらっている。