ティンブクトゥ/ポール・オースター

ティンブクトゥ

ティンブクトゥ

犬を飼ったことのある人間なら涙を禁じ得ない幻想小説

 ミスター・ボーンズは飼い主ウィリーの先が長くないことを悟っていた。
 ウィリーは放浪生活を送る無名の詩人で、その身体は病に侵され、最期の望みにと長らく連れ添った愛犬ミスター・ボーンズを恩師に託そうとボルチモアまで訪れたのだった。
 ミスター・ボーンズはウィリーの嘆きや愚痴を聞かされて生きてきたので人の言葉(ミスター・ボーンズ曰く「イングルーシュ」)を解すことができた。
 厭世的に生きた詩人に育てられた犬の目を通し、人間社会を見る。

 犬の視点とは書いたが、オースターとしては現代版ドン・キホーテ(ウィリー)とサンチョパンサ(ミスター・ボーンズ)を意識したという話には納得。単純な犬の物語という着地点には落としてはくれません。
 タイトルのティンブクトゥとは遠く離れたたどり着けない場所という意で、作中では死後の世界「天国」として描かれている。
 訳者、柴田元幸のあとがきにShaggy Dog Story(むさ苦しい犬の話)という英語が話している方は楽しくても聞いている方はつまらない話というのはまさにこの物語を語るキーワードだろう。ウィリーがミスター・ボーンズに語り聞かせる話の多くがこのシャギードッグストーリーなのだし、ミスター・ボーンズも本当に冴えないシャギードッグである。
 しかし破天荒な主人に連れ回された飼い犬がいざ主人を喪ってからの新しい生活。放浪の詩人なんて時代遅れのドン・キホーテ化された者に慣らされてしまった犬から見れば一般的なアメリカ人家庭の生活も異世界であろう。そんな異世界感やミスター・ボーンズの見る夢や空想の煌びやかさから、まさにこの小説はSFや幻想小説に近いものじゃないかと考えた。
 そして、そのボーンズの旅する世界の姿に涙が止まらなかった。色々な意味で素晴らしいシャギードッグストーリーであった。