カーニヴァル化する社会/鈴木謙介

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

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ざっくばらんに内容を説明すると↑のAAを社会学として書いた本。
 というとさすがにアバウトなので内容をざっと説明する。
この本は4部構成。

  • 第1章でニートやフリーターにいたる現代の若者の像として「働く」ということに目標や理由を失い、ハイ・テンションな自己啓発という一瞬の盛り上がりで決めた「やりたいことを見つける」という気持ちと「宿命論」としての「やりたいことなんて見つからない」という気持ちの間で右往左往する慢性的な躁鬱状態の人物像を描き出す。
  • 第2章では、第1章で述べた人物像が「働く」ことを可能にするテクノロジーとして、情報化社会、つまり「監視社会化」であると説く。自分たちの行動や情報を徹底的にデータベース化することのメリット、デメリットを述べ、そのデータベースによって導き出された結果により「ハイ・テンションな自己啓発」の糧とするか「宿命」として受け取るかの取捨選択を行うシステムを語る。
  • 第3章ではケータイ電話による対人関係から、監視社会の中における対人関係の個人への依存を読み、個人のあり方として「知られる私」と「知る私」の統一を図ってきた旧態の反省のアイデンティティの形から変化した、個人とは「知る私」の集合体であるという再帰の個人化を見つけ、アイデンティティを喪失することを語る。
  • 第4章はここまで述べてきた若者の実状を踏まえ、瞬発的な感動である「カーニヴァル(=ハイ・テンションな自己啓発)」を支えるものとして、自我(知る私)と客我(知られる私)の分断した再帰的な自己モデルを描き出す。そして、先の見えないものに対する宿命でもなく、かといって革命でもない「夢を見続ける」という状態にあり続ける若者の現状について、なにをすべきというのではなく、ただ知るべきだと述べる。

 ここまで引っ張ってオチがないのかよ、と思ったのもあるが何より若者論としてこの本は、フリーター・ニートが現在のような状態にあるのは中高年が終身雇用制度を維持するために若者を犠牲にしてきたからでもあり、ただ説教するだけじゃ駄目なんじゃないかという若者側に立った視点で話を書くが、いまいちどこかぴんと来ない。たしかに現在20代のわしからすると「確かに」と思うところもあるのであるが、あくまで「再帰的な自己モデル」として描かれる人物像に対して「夢のために日々頑張ってるけど、今はまだまだ未熟。でも頑張って努力すればいつかは叶うかもしれない。世間では俺のことをニートやらフリーターやら言うし、親もハローワークに行けって言うけれど、社会の歯車になることだけが幸せじゃないと思うんだ。ナンバーワンよりオンリーワン!」とか言ってるパープリン像が浮かんでなんというか居た堪れない気持ちである。