「あるある」の向こう側
昨日、北村薫先生の授業に歌人の天野慶氏がいらっしゃった。ずっと前に天野氏にインタビューした結果をコラムにするという課題があり、昨日はその講評のためであったのだが、中で共感されるということについての話があった。
共感を取ることなんていうのは比較的簡単なことなのかもしれない。抽象的・曖昧なことをあらわした言葉などに対して人間はつい自分を重ねがちである。というか、抽象的であるほど自分を重ねやすく、つい分かった気持ちになってしまうのである。これをバーナム効果という。
要するにそういった抽象的であったり曖昧である日常のワンシーンを切り取ってネタとするのが「あるあるネタ」である。ようするに共感というものを得るのは、比較的簡単である。
その授業中に誰かが「私は相手の考えを超えたことを言って、相手に「そういう考えがあるか」と驚かれるほうが気持ちいい」というようなことを言っていた。
ようするに創作者として、共感の向こう側、読者の意表をつくっていうことが表現の課題なのではないか、と思う。わしはいまだにその壁を越えることは出来ていない。
恥ずかしいので隠すが、自分も高校時代、短歌を書いて読売歌壇に送ろうとしていた。うろ覚えだけどちょっと思い出した。
- 準備は整っている 大き目の傘と君とあとは雨を待つのみ
とか、登校拒否児の気分だけは十二分に味わっていた高校時代のわしはノートに詩を書いたりしていた。実はロマンチストでポエマーなのですよ。わし。