チャイルド44/トム・ロブ・スミス

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 上巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

チャイルド44 下巻 (新潮文庫)

 別所で使った使った書評の使い回しなので、いつもと書き方が違うことは勘弁していただきたい。数字が漢数字なのは元が縦書きだったため。

「この国家は連続殺人の存在を認めない。ゆえに犯人は自由に殺し続ける――。」ものすごい文句であるが、実際にこんな文句がまかり通っていた国があるというのが驚きである。二〇〇八年のイギリス推理作家協会イアン・フレミング賞を受賞し、『リドリー・スコット』監督で映画化も決まっている本書はソビエトの暗黒時代を舞台に、当時暗躍していた連続殺人犯とひとりの男の戦いを描く。
 国家保安省の捜査官レオ・デミドフは部下の陰謀によって、地方の民警へと左遷されてしまう。そこでレオが目の当たりにしたのは無残にも惨殺された少女の死体。それはかつて彼が保安省の捜査官として、事故死という捜査結果に不満を持つ遺族を説得した事件の被害者の死体に酷似していた。「理想的な」ソビエトの社会は殺人事件の存在すら許さない。犯罪というのは資本主義とその思想に染まった反逆者が起こすものであるのだから、本来であれば警察なんていらない。そういったソビエトの歪んだ社会の中で連続殺人事件を追う主人公は国家と良心の間で揺れ動く。そして、事件に疑問を抱いてしまった主人公に対し、ソビエトという国が牙を剥く!
 あらすじでは説明することが出来ないほど、この小説は複雑怪奇な道筋をたどる物語である。それでありながら、主人公に襲い掛かる艱難辛苦は読者のページを繰る手を止めさせない。また、スターリン独裁時代のソビエトという、時代の悲惨さを克明に描いていながらも、説明臭くならず、逆にその舞台設定は恐怖感という形で読者の下へと伝わってくる。そういった舞台設定の細かやな部分は人物の造詣にも生きており、主人公やその妻、部下やソビエトの市井の人々といった様々な人物はソビエトという国を読者に伝えるひとつの手がかりとなる。
 サイコ・サスペンスというジャンルに属する作品は数多くあるが、本書を読んで浮かんだイメージは「孤独」である。精神異常者の殺人犯というのは元から孤独なものであるが、その犯人を追う主人公も国家から弾かれた孤独な存在となってゆく。もとより隣人の密告が蔓延しているソビエトでは誰しもが社会の中で「国家に尽くす」人物像を演じていなければ、いつ反逆者やスパイとして逮捕されるか分からない状態。人々は誰しもが孤独を感じているのだ。だから、本書をただのサスペンスとしては読めない。かつてはエリートであり、降格・左遷された主人公は一瞬で社会の弱者へと転落する。そうすることでこのソビエトの人々が抱えてきた孤独というものを肌で感じる。そのとげとげとした感覚を受けながらも、事件解決に命をささげる主人公には胸を打たれる思いだった。
 本書は実際にソビエトで五十三人もの人を殺害したチカチーロの事件を下敷きとしており、彼が十年余りに亘って野放しにされていたという、信じられないようなソビエトの社会は本当にあった歴史の一部である。そういった実際の歴史をなぞったことで生まれたリアリティは物語に程よい「重さ」を与え、良質なサスペンス小説が持つ疾走感、「スピード」が乗り、強烈なヘビー級パンチとなって読者のハートを撃ちぬく。この小説にノックアウトされる感覚をぜひとも多くの人に味わってもらいたい。