グラウンド・ゼロ

 気がつけば、僕は焼け野原に一人、ぽつねんと立ち尽くしていた。空は突き抜けるような雲ひとつない夏の空で、その日差しがぎらぎらと照りつけ、僕に時間が昼時であることを嫌がおうにも知らせてくる。


 なぜ、僕はここにいるのだろうか。そして、ここで何が起こったのだろうか。思い出そうとしたけど、どうしても思い出すことができなかった。


 目の前には崩れ落ちた建物、昔、この建物が日の光をさえぎってしまうので嫌いだったような記憶がある。今はもうその建物は倒れるように崩れ落ちて、この陽炎が揺れるような酷暑から僕を守ってくれることはない。


 その廃墟の向こうから煙が幾筋も空にたなびいている。たしか、あっちには石油化学プラントがあって、建物と建物の隙間からいくつもの市松模様の煙突から煙が昇っているのがよく見えた。しかし、今日はその煙の根元には煙突の姿は無かった。


 どこからか、うめき声が聞こえる。「たすけて・・・たすけて・・・」絶え絶えの、ところどころかすれた助けを求める声。その声が僕の中で今朝の出来事をフラッシュバックさせた。


いつもどおりの朝で、僕は目の前の建物や、その向こうのプラントへと通勤する人々の姿をこうやって見ていた。海沿いに少し行ったところにある学校へと向かう学生もいる。様々な人がこの道を歩いていて、道行く人が多いこの時間が僕は好きで、毎日楽しみにしていた。


一瞬、目の前のビルの向こう側が激しく光った。明るい光だった。その後、大きな音と爆風が襲ってきた。目の前に建物があったのが幸いだった。周りにあったゴミ箱や、街路樹は勢いよく吹き飛ばされたり、熱によってどろどろと融けてしまったりしていた。こうして、一瞬にして、僕のいつもいるこの通り、海沿いの街は焼け野原となってしまったのだった。


 僕はさっきから聞こえるうめき声のほうをじっと見つめて、その声の主を探した。瓦礫の隙間から、そのうめき声の主は姿を現した。それは一人の少女だった。皮膚は焼け爛れ、着ていた服もぼろぼろ。ところどころ肉が見え、よろよろと力なく片足を引きずりながらも、何かに憑かれたかのように歩いていたが、僕の姿を見止めると顔を輝かせた。


「コーラをください・・・喉が・・・」


 悲痛な声が僕の方へと迫ってくる。身に着けているものはぼろぼろであるが、学生服であろう。左足の足首が変な方向に曲がっていて、痛々しさを感じさせて僕は目を逸らしたくなった。


「喉が乾いて死にそうなんです・・・」


 彼女は僕にもたれかかるように抱きつくと、僕の体のところどころを乱暴に押した。


 その瞬間、ぱっとひらめくように私の記憶が戻ってくる。


 そうだった。僕はかつてここでジュースを売っていたのだ。冷えたコーラを。今日みたいな暑い日は音を上げる人々に潤いを提供する使命に燃え、朝は出勤途中の労働者たちに目覚ましのコーヒーを一杯、提供することを楽しみとしていた誇り高い自動販売機だったはずだ。


 相変わらず、彼女は僕の身体を叩く。お金もいれず、ただそのことしか頭にないというようにボタンを押す。


「水をください」


 同じ言葉の繰り返し。僕はあらためて彼女をじっと見つめる。まだ、中学生くらいの幼い少女。焼け爛れてしまった顔に、かつてはさぞかわいらしかったのだろうという面影が見られる。こんな女の子に抱きつかれるようにして、懇願されているのに何も出来ない自分が情けなかった。


 僕は百円玉を入れてもらわなければジュースを出すことが出来ない。ましてや今朝の出来事から僕には電気が送られてきていないのだ、冷却ファンすら回せない。瓦礫の中でたたずんでいる、ただの箱でしかないのだ。


 そして、何より、飲み物を与えれば彼女は死んでしまうのではないか、喉の渇きという執念だけが今の彼女を動かしてるのではないか、そんな心配もあった。しかし、そんなことより、なによりも僕は自分が情けなかった。彼女を助けてあげたい、それが僕の自動販売機としての使命のはずだ。


「たすけて・・・水を・・・」


 彼女と目があった。そのかすんだような瞳をはじめてまじまじと見た。一瞬だけ、僕の体に電気が走ったような気がした。


カタン、と音が鳴ってコーラの缶が落ちた。


 彼女はコーラを受け取ると、かすんでいた目を輝かせた。


もう水分なんてないはずなのに涙を流して、泣き笑いのままそのコーラを両手で包むように抱きかかえると、そのままひざを折ってその場に座り込んだ。そして、彼女は動かなくなった。ぬるくなったコーラの缶のプルタブが開けられることはなかった。



 救助隊が事故現場へと駆けつけたとき、男は直立不動のまま気を失っていた。壊れた自動販売機に並ぶように立ち尽くし、その焼け爛れた顔は満足げであった。


 そして、その男の前に崩れるように、少女の亡骸が横たわっている。コーラの空き缶を抱えたその少女の姿は事故の痛ましさを救助隊員の心に刻み込むのには十分であった。


 救助隊員は二人の生死を確認すると、すぐに回収するように本部に連絡をとった。


 病院へと搬送される途中、男は自分がトラックに乗せられ、スクラップ工場へと運ばれていく夢を見た。