生きてるっていうのは罪か

 昨日一日、テレビにかじりついて朝のニュースからワイドショーまで見てて、大変・・・こういうと御幣があるが・・・面白かった。
 報道の福知山線脱線事故に対する責任追及の対象がころころ変わった。

 今までは運転士に責任追及が及んでいたが、「運転士は中学・高校と真面目な子でした」といいだし、局によっては中学時代の写真を一面に映し出す。
 そして、注意しなかった車掌が悪い。と車掌を顔写真付で実名報道。車掌の奥さんにインタビューする。他局ではJR西日本の過密ダイヤが悪いとか、最終的には経営体制にまでけちをつけ始める始末。
 昼になれば、「JRで行われてる職務に問題があった運転士に対する指導が精神的に負担であった」と言い出し、車掌は運転士が指導を受けないように慮って、オーバーランの距離を誤魔化したやさしい人だ、ということになっていた。それどころか、「JRはそれでも、これからもこの指導を続けると言っています」と非難を始める。いくらダイヤを乱しても指導を受けないチャランポランな電車に乗ろうと思う奴はいるのだろうか・・・と思うわけである。

 そもそも過密ダイヤが悪いにしても、正直、過密ダイヤが私たちにはちょうどいいわけであって、減らされると朝電車に乗れなくて困るわけだし、貨物路線を減らせば減らしたらで流通が滞って困るわけである。
 運転士は悪くない!!って論調にしても、現に彼の場合は前科持ちであったわけだし、どんなに学生時代真面目でも、真面目だから、なんて性格だけで許されるほど、事態は小さくない。仕事ができる人間かできない人間かにしたら運転士は圧倒的に後者である。性格が真面目だろうと、ヤンキーだろうと、彼の罪は許されるわけではない。
 しかし、もう亡くなっている人間を責めるというのも不毛であるし、死者の罪をほかに肩代わりさせるのも不毛だ。
 この事故について、被害にあわなかった私のような人は、ただ亡くなった方々に黙祷するしかないようだ。

 中国極右の言い分
福知山線脱線事故は日本の歴史認識が甘かったから起こった事故であり、教科書会社に責任がある」
とか本当になったらシュール